貸しヴィデオ屋で古い映画、
小津安二郎監督の
「彼岸花」を借りた。はなしの終わりに近いあたりに主人公たちが旧制中学校の同窓会で集まる場面がある。彼らは酒の席で誰言うとなく唱歌「桜井の別れ」を合唱するのだ。登場する主人公達はほぼ私の父に近い世代である。明治の終わり、大正の始めあたりに生まれ、太平洋戦争の時代を三十歳代、あるいはその前後で過ごした世代だ。彼らは戦争の被害者でもあるが、戦争を推進した加害者たちとも世代を共有している。主人公はその妻との会話で戦争中のことを「つまらぬ連中が威張っていた時代」と表現している。それと同時に「忠君愛国」の感傷的な文部省唱歌を懐旧の情で旧友と合唱する世代でもある。戦争が終わって10数年後、落ち着いた暮らしを取り戻したと思える主人公たちの日常風景は、近頃もてはやされる
「昭和」「3丁目の夕日」の風景と時代を重ねている。むかし、父に戦争の事を尋ねても冗談めかしてはぐらかされた。さらにひつこく尋ねると険しい表情になって黙って仕舞う。我々の現在は完全な平和への過程なのか?それとも新たな戦争の始まる以前の「戦前」なのだろうか。戦争は自然災害では無い。ヒトによって始められる。そして、凡そ戦争を始めようとする連中は費用対効果を緻密に計算してから始めるものだ。富を破壊し尽くすような戦争はしないだろう。人間も資産と廃棄物に仕分けられて効率よく廃棄が進むように戦争計画が立てられている期間が「平和」と呼ばれている時代なのかもしれない。小津監督の映画のなかの時間は坦々と淡々と過ぎて行く。戦争の時代を冷静に評価できる年齢と知識を持ちながら、その時代を過ごした者としての苦い表情と次世代への仄(ほの)かな希望の微笑が小さな起伏に表現されている。
[0回]
PR