「右のかいなが上り龍、左腕が下り龍、雀脅しの文身が喧嘩怖いと逃げ出した。」
とは花田清輝氏によれば、放蕩時代の遠山左衛門尉景元の作った唄らしい。
この頃、街中では雀より烏が目立つ。
以前(老生の幼い頃、半世紀ほど)は雀が多く烏の声は
今ほど聞かなかったような気がする。
江戸後期は却っていまの如く烏が大きな顔をしてただろうことは
明け方に啼く烏を題材にした流行歌(長門の國から江戸へ出てきた高杉和助が
粋がって作ったと伝えられる都々逸など)から想像される。
うろ覚えで根拠や出典までは記すことができないが、
最近の住宅の構造が雀を住みにくくしていると聞いた事がある。
近くにある鶴見緑地公園の池畔で写生しているとき、
烏と鷺が争うのを見た。比喩ではない烏鷺合戦である。
大阪淀屋橋にある市役所の南側、欅並木の木陰では
昼時、近辺に職場のあるおんなのこ達が弁当を使うのを狙って、
雀と鳩と烏が競い合っている。
烏と鳩をうまく出し抜いて、飯粒をせしめることがでたときの
逃げてゆく雀の姿が何やら得意げに見える。
昨年の今頃
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